もっとオキナワ 青い空、白い雲
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第2回  酒井靖之さん
“やはり、きっかけは宮古島の海の魅力でした” 
  広島県出身で東京生活の長かった酒井靖之さんは46歳。 宮古島に定住して1年8ヶ月ですが、宮古島との付き合いは今年で丁度12年目になります。  最初に宮古島を訪れたのが1993年の7月、趣味のダイビングを楽しむために来ました。 酒井さんに初めて教えられたことですが、同じダイビングをするのでも、何を観察したいかの目的によりダイバーはいくつかの派に分かれ、酒井さんは海中の地形にとても興味があるので 「地形派ダイバー」 なのだそうです。
地形派ダイバーにとっても、宮古島の海はたまらなく魅力的だったようで、「3ヶ月後の10月には再び宮古島に来てしまった」 と言います。  以来10年間で宮古島を訪れたのは34回。  統計がないのでわかりませんが、もしかしたら宮古島訪問者としては“タイトル・ホルダーでは?”と思われるほどの、「ほぼ、宮古んちゅー」 な生活でした。

“定住の決意をさせた大型台風” 

   2003年9月10〜11日、史上2番目の最大瞬間風速74.1mという超大型台風が宮古島を直撃したために大きな被害が出ましたが、酒井さんは大好きな宮古島が大きく傷ついたことに居ても立ってもおられず、台風のわずか1週間後の9月18日には宮古島入りし、ボランテイアとして復旧活動を手伝うかたわら、インターネット上に「ワイドー宮古」を立ち上げ、宮古島の被害状況を全国に伝えました。
  この間に酒井さんは、東京での照明ディレクターとしての安定した生活と決別し、宮古島に定住する決意をしたと言います。一度だけ実家のある広島県に帰りましたが、宮古島での生活はそのとき以来です。

“宮古島の住人として”

   酒井さんは宮古島を訪れた本土の人に、「この島には人情が残っています。この島の文化と心に多く触れてほしい」 といいます。 そのためにも、地元の人の行くところに積極的に行くように薦めています。 
   酒井さん自身も、これまでそのことを実践してきました。 ボランティア活動や数多くの仕事の手助けなどを通して宮古島の人々と一緒に働き、語り合い、付き合いを深めることで宮古島を受け入れ、住民の人々にも心から受け入れられてきました。 

“空が広い宮古島で、死ぬまで生きる”
   現在は平良市の 「歴史文化ガイドの会」 と 「さんご礁ガイドの仲間たち」 などのボランティア活動を通じて、宮古島の素晴らしさを全国から来る人々に伝える立場の酒井さん。 
私たちはごく平凡に、「宮古島の空と海」 と言ってしまうところを、酒井さんは 「宮古島の風と潮」というように素晴らしい感性でこの島の良さを表現してくれます。
   この島の海中地形の特徴から地質学的な島の成り立ち、独特な地下水系の解説から、歴史まで、専門的な知識をとても解かりやすい言葉で適切に説明してくれるので、酒井さんの話は何時間聞いていても飽きません。 酒井さんには表現者としての素晴らしい才能があるようです。

“ここには自分を幸せにしてくれるものが多くあります”

   最近になって三線の練習も始めたようですが、時間のある時には大好きな宮古島生まれの歌手、下地暁と下地勇のCDを聞いているという酒井さん。 たしかに宮古島には、都会生活では手に入れることの出来ない至福の空間があります。

第1回  沖 浩司 さん


スタートは偶然のいたずらから・・・

  今回ご紹介するのは、大阪から8年前に家族3人で宮古島に移り住んだ沖浩司さん。
面白いことに、宮古島に暮らすようになったきっかけは全くの偶然からだったといいます。 旅行で石垣島へ行く予定でしたが、そのときはホテルが取れず、仕方なく宮古島に変更したそうです。 いざ来てみると、宮古島が大変気に入り、2回目の宮古島旅行では、すでに移住のための場所探しをはじめていました。
3回目の宮古旅行はもう引越しの旅
  沖さんのご家族が宮古島への引越しを決断するまでに約1年間。  会社の退社手続きなどを終えて、1年6ヶ月後には城辺町に移住を決行。 住いを城辺町に決めたのは、調査で訪れた時何かと親身にアドバイスをしてくれた城辺町役場のすすめもあり、民間アパートも安く借りることが出来たからだと言います。
   宮古島に落ち着いたものの、やはり仕事を探すのはかなり大変でした。 まず最初にしたのが、選挙の看板たて。 次に農園で約1年間働いた後は、電気屋の手伝い、ビニールハウスの組み立て、ビーチでのイカ焼きの移動販売、ウインディ・前浜でのクック、宮古島ロケーション・サービスでのコーディネーター件ドライバー・・・・・・・・・・・、そして現在はゲストハウス美ら海を経営しています。 移住から8年、色々な苦労はあったけど、今の心境は 「宮古島に来て、自分が強くなったと思う」 と言う沖さん。 まるで西武開拓時代のように、自分の力で築いてきた自信がうかがえます。 ソフトな語り口調とにこやかな対応からは、うかがい知ることの出来ない苦労もあったのでしょうね。


この島は、暮らしていて圧迫感がないですよ
   沖さんに宮古島の印象を聞くと、「この島に住んでいると、どこまでも見渡せて北海道にいるみたいなんです。 とにかく暮らして行く上で圧迫感を感じなくてすみます。 勿論この島の自然が素晴らしいからだと思います。」
 「それと、この島の食べ物が好きですね。 宮古そばは3食続けてもOKですよ」、と言います。  
   沖さんがいま一番感謝していることは、奥さんが地元にとても溶け込んでいることです。 PTAや婦人会の会合に積極的に参加し、地元の人たちとの交流がとてもスムーズに行っているとのこと。  また宮古島に引っ越してきたときは1歳だった娘も、今や小学校3年生。 言葉はすっかり城辺なまり。 最近では奥さんも関西弁よりも城辺言葉。 でも沖さんご本人は、自分のアイデンティティとして関西弁は頑固に守り通しているそうです。


子供の教育について沖さんが考えたこと
   それまでは大阪で電車の車掌として働き、収入も安定していた沖さんご夫婦にとってはかなりの決断だったはずです。   そのきっかけとなったのが、子供の教育について考えたときでした。 自分が育ち、暮らしてきた大都会を考えるとき、宮古島には子供が本来暮らして行くべき良い環境がまだたくさん残っていると感じました。
  昨年末長男も生まれ、賑やかになった沖家ですか、この子供達のためにも、宮古島での生活を一層安定させたいとご夫婦で頑張っています。

沖さんから、宮古島移住を考えている皆さんへのアドバイス
  「一番大切なのは周りの人たちとのコミュニケーションがきちんと出来ること。」  沖さんが教えてくれた島での生活を成功させる秘訣です。

ゲストハウス 美ら海(ちゅらうみ)について
   沖さんの経営するゲストハウス美ら海は、平良市郊外にあります。 この場所はとてもユニークな場緒で、以前はカラオケボックスだったところをペンションに改造しました。
   ただ、台風の本場宮古島ですから、カラオケボックス だって鉄筋コンクリートの本格的個室。 作りの面白さと部屋数の多さで、大学の合宿から一人旅まで幅広く対応できます。
利用方法のイメージが広がるのが、ゲストハウス美ら海です。 宮古島においでの際は、ご利用下さい。  
                                        ゲストハウス美ら海は こちらから 
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