地形派ダイバーにとっても、宮古島の海はたまらなく魅力的だったようで、「3ヶ月後の10月には再び宮古島に来てしまった」 と言います。 以来10年間で宮古島を訪れたのは34回。 統計がないのでわかりませんが、もしかしたら宮古島訪問者としては“タイトル・ホルダーでは?”と思われるほどの、「ほぼ、宮古んちゅー」 な生活でした。
“定住の決意をさせた大型台風”
2003年9月10〜11日、史上2番目の最大瞬間風速74.1mという超大型台風が宮古島を直撃したために大きな被害が出ましたが、酒井さんは大好きな宮古島が大きく傷ついたことに居ても立ってもおられず、台風のわずか1週間後の9月18日には宮古島入りし、ボランテイアとして復旧活動を手伝うかたわら、インターネット上に「ワイドー宮古」を立ち上げ、宮古島の被害状況を全国に伝えました。
この間に酒井さんは、東京での照明ディレクターとしての安定した生活と決別し、宮古島に定住する決意をしたと言います。一度だけ実家のある広島県に帰りましたが、宮古島での生活はそのとき以来です。
“宮古島の住人として”
酒井さんは宮古島を訪れた本土の人に、「この島には人情が残っています。この島の文化と心に多く触れてほしい」 といいます。 そのためにも、地元の人の行くところに積極的に行くように薦めています。
酒井さん自身も、これまでそのことを実践してきました。 ボランティア活動や数多くの仕事の手助けなどを通して宮古島の人々と一緒に働き、語り合い、付き合いを深めることで宮古島を受け入れ、住民の人々にも心から受け入れられてきました。
“空が広い宮古島で、死ぬまで生きる”
現在は平良市の 「歴史文化ガイドの会」 と 「さんご礁ガイドの仲間たち」 などのボランティア活動を通じて、宮古島の素晴らしさを全国から来る人々に伝える立場の酒井さん。
私たちはごく平凡に、「宮古島の空と海」 と言ってしまうところを、酒井さんは 「宮古島の風と潮」というように素晴らしい感性でこの島の良さを表現してくれます。
この島の海中地形の特徴から地質学的な島の成り立ち、独特な地下水系の解説から、歴史まで、専門的な知識をとても解かりやすい言葉で適切に説明してくれるので、酒井さんの話は何時間聞いていても飽きません。 酒井さんには表現者としての素晴らしい才能があるようです。
“ここには自分を幸せにしてくれるものが多くあります”
最近になって三線の練習も始めたようですが、時間のある時には大好きな宮古島生まれの歌手、下地暁と下地勇のCDを聞いているという酒井さん。 たしかに宮古島には、都会生活では手に入れることの出来ない至福の空間があります。
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